北近江の戦国大名 浅井家

プライベート
小谷城戦国歴史資料館
滋賀県びわ湖観光情報HP 小谷城コース
出典:公益社団法人長浜観光協会
出典:小谷城戦国歴史資料館

 小谷(おだに)城は、長浜市の小谷山(495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城としていました。築城は大永5年(1525年)頃です。
 湖北の大名・浅井長政と戦国一の美女といわれた織田信長の妹「お市の方」や、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。城跡からは琵琶湖や湖北の地を一望することができます。
 織田信長との戦いで浅井家が滅んだ後、羽柴(豊臣)秀吉に与えられましたが、秀吉は今浜(現在の長浜)に長浜城を築いたために、廃城となってしまいました。城跡の遺構から、当時の面影を偲ぶとともに、お市の方と3人の娘たちの生涯に思いをはせることができます。
 小谷城は自然の地形を利用した戦国時代屈指の山城と呼ばれた名城で、東西の尾根づたいに各郭が配置され、本丸、大広間跡などを配置したまさに要塞でした。

 茶々(淀殿) 1567年(永禄10年)または1569年(永禄12年)~1615年(慶長20)
 三姉妹の長女 淀殿が秀吉の側室になったのは、1588年(天正16年)頃。秀吉との間に二人の子をもうけましたが、一人目は幼くして亡くなっています。1593年(文禄2年)二人目の子である秀頼を産みました。1614年(慶長19年)には大坂の冬の陣、翌年、大坂の夏の陣で秀頼とともに自害。淀殿は、母市の方面影を一番受け継いでいたといわれています。

 初(常高院) 1570年(元亀元年)~1633年(寛永10年)
 三姉妹の次女。京極氏当主、京極高次に嫁ぎました。大津城は、関ヶ原の合戦における前哨戦の舞台になり、高次とともに籠城したといわれています。大坂の陣では、徳川方と豊臣方との仲を取りもつことに奔走しました。三姉妹の中で一番長生きをしました。 64歳没。

 江(崇源院)1570年(天正元年)~1626年( 寛永3年)
 浅井長政の三女で、最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられました。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子は、姉茶々の猶子となります。3度目の婚姻相手が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠です。

 小谷城跡には数年前NHK大河ドラマの舞台になったときに訪問しました。小谷城戦国ガイドステーション(滋賀県長浜市湖北町伊部757-1)からガイドしてもらいながら戦国史跡に触れてきました。織田信長と羽柴秀吉、徳川家康の天下統一の戦国時代に生きた女性の覚悟にもなみなみならないものを感じ得ません。歴史は未来の人が創るものですから書物に書かれた通りではないかもしれませんが、それから思いをはせることがロマンかもしれません。

 記:桃太郎

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