[歴史変革]国友の火縄銃

プライベート
・国友一貫斎(くにとも・いっかんさい)肖像画 [戦国日本の歴史を変えた東洋のエジソンといわれててます!]

 国友一貫斎は近江国(おうみのくに)国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)で1778年(江戸時代の後期)に生まれました。明治になり国友村は大阪の堺と並ぶ火縄銃の一大産地となりました。
 一貫斎はオランダからの西洋文明に触れて、さまざまな発明をします。
 1. オランダから伝わった空気銃の玩具(おもちゃ)から連発式の「空気銃」
 2. 万年筆のような「懐中筆」というランプのような照明器具
 3. アーチェリーに似た鋼の弓「弩弓(どきゅう)」
 4. 「水揚げポンプ」など・・・いろいろな発明をしています。

 更には、「飛行機の設計図」が見つかっています。木馬に乗った人間が翼を羽ばたかせて飛ぶ構造で、現存する飛行機の設計図としては国内最古です。
 そのほか舶来の望遠鏡を元に、日本で最初の「反射望遠鏡」を造りました。太陽の黒点や月のクレーター、木星の縞模様、土星の環も観測しています。一貫斎の望遠鏡は、西洋の望遠鏡をしのぐ高性能でした。
 一貫斎がすごいのは発明だけでなく、設計図や解説書まで残していることです。それまでの職人は見て覚え、口伝えで技を残していましたが、一貫斎は設計図と共に文書化しているところが偉人たるゆえんです。

 ポルトガル人によって1543年種子島にもたらされた火縄銃が堺(大阪)、薩摩(鹿児島)、国友(滋賀県)へ伝来しました。そこでは「ねじ形」の発明などにより分業生産もできるようになり、さまざまな形の火縄銃が考案製作されました。
 「国友鉄砲ミュージアム」は住宅街にひっそりとありますが、当時は鉄砲産業で栄えた町だった面影を残しています。技術開花(発明)で日本が世界の先駆者の役割を担った町だったかもしれません。近くにお越しの際は是非とも一見の価値はあります。

 記:桃太郎

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