靭(うつぼ)バラ公園

プライベート

 かつての靱(うつぼ)塩干魚市場の跡地です。靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年の大阪市中央卸市場の開場後に閉鎖され、1945年の大阪大空襲で一帯は焼け野原となりました。

 戦後、連合国軍最高司令官総司令部が約3万坪を接収し、占領軍の常用飛行場として「靭飛行場」を置きました。1952年の講和条約発効から2ヶ月後に飛行場敷地は大阪市へ返還され、戦災復興土地区画整理事業によって1955年に靱公園が開園しました。また、同事業によって1959年に「なにわ筋」が敷設され、公園を縦断するようになりました。

 なにわ筋を挟んで東園・西園に分かれ、東園にはケヤキ並木とバラ園が整備され、都心のオアシスとなっています。西園は大部分を靭テニスセンターが占め、世界スーパージュニアテニス選手権大会など国際的な大会も行われました。大坂なおみさんも練習コートとしていました。

 公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキがあります。ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名所です。クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次ぎ、お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから「この木は神木なので切ってはいけない」ということになり今に残っています。公園内に作家・梶井基次郎の文学碑があり、「檸檬」の一節が刻まれています。(1981年に建立)

靭公園
大阪市西区靭本町2-1-4

 大阪市民のオアシス。人工ですが川があり、橋があり、噴水があり、この日はとても暑かったのでご家族でテントを張ったり、日陰で「お弁当」を食べたり楽しそうでした。
 子供たちは川に入ったり噴水で遊んだりと花があるだけで楽しくなりますね。

 記:桃太郎

コメント